【前からツッコミたかったけど、人の妻うばいすぎ!】大文豪「夏目漱石」の無料で読むKINDLE本4選

文学・小説

 吾輩は猫である・・・名前はまだない・・・。千円札の肖像画でもある、日本を代表する文豪「夏目漱石」のKINDLEで無料で読む名作4本のご紹介です。

 

 

夏目漱石

夏目漱石(なつめ・そうせき) 日本の小説家、評論家、英文学者。

森鴎外と並ぶ明治・大正時代の文豪である。 1867年(慶応3)江戸牛込馬場下横町(現在の東京都新宿区喜久井町)に生まれる。本名は夏目金之助。 東京帝国大学英文科卒業後、東京高等師範学校、松山中学、熊本第五高等学校などの教師生活を経て、 1900年、イギリスに留学。帰国後、第一高等学校、東京帝国大学の講師を務める。

1905年、処女作『吾輩は猫である』を発表。翌年『坊っちゃん』『草枕』を発表。 1907年、教職を辞し、朝日新聞社に入社。 以後、朝日新聞に『虞美人草』『三四郎』『それから』『門』『彼岸過迄』『行人』『こころ』『道草』などを連載するが、 1916年(大正5)12月9日、『明暗』の連載途中に胃潰瘍で永眠。享年50歳。

 

門 ― 前記三部作の一つ。人妻を寝とりすぎる夏目作品の一つ

明治期の文学者、夏目漱石の長編小説。初出は「東京朝日新聞」「大阪朝日新聞」[1910(明治43)年]。「三四郎」「それから」の前作とあわせて前期三部作とされる。野中宗助は親友安井の妻だったお米を奪った。二人の結婚生活は崖下の家でひっそりと続いている。安井が訪ねてくることを知った宗助は苦しみ、修業のために参禅に出かけるが門は開けてもらえず救済は得られない。「門」を書き終えた後の夏、漱石は悪化した胃病の療養のために出かけた修善寺温泉で大吐血をし、死を体験した。修善寺の大患と呼ばれる。

 

それから ― 「高等遊民」登場!これまた、人妻を寝取ります・・・

 明治期の文学者、夏目漱石の長編小説。初出は「東京朝日新聞」「大阪朝日新聞」[1909(明治42)年]。「三四郎」の後に書かれ、次の「門」とあわせて三部作とされる。漱石自身の予告によれば「「三四郎」には大学生の事を描(かい)たが、此(この)小説にはそれから先の事を書いたからそれからである」。主人公の代助は三十歳を過ぎても親からの仕送りを受けて優雅に暮らしている知識人「高等遊民」である。かつて親友に譲った三千代と再会して、人妻である彼女との愛を貫く決心をする。愛を代償に社会から葬られる夫婦はどうなるのか。

 

こころ ― 親友を裏切って、彼女を奪います・・・

明治期の文学者、夏目漱石の長編小説。「東京朝日新聞」「大阪朝日新聞」[1914(大正3)年]。「先生と私」「両親と私」「先生と遺書」の3部からなる晩年の傑作。親友Kを裏切って好きな女性と結婚した罪を負う先生の行く末には絶望と死しかない。「こころ」というタイトルに包まれた明治の孤独な精神の苦悩には百年たった今も解決の道はなく、読者のこころを惹きつけてやまない。新聞連載後岩波書店から刊行のとき、装幀は漱石自身が「箱、表紙、見返し、扉及び奥附の模様及び題字、朱印、検印ともに、悉く自分で考案して自分で描いた」。

 

三四郎 ― 森鴎外も触発された「青春童貞小説」

明治期の文学者、夏目漱石の長編小説。初出は「東京朝日新聞」「大阪朝日新聞」[1909(明治42)年]。続いて書かれた「それから」「門」とあわせて前期三部作とされる。主人公の三四郎は母のいる九州の田舎から東京に出て、大学で学問や思想の深い世界に触れる。またミステリアスな美禰子との恋愛で「迷える羊」としての自分を自覚していく青春小説。「無意識の偽善家」として描かれた美禰子は森田草平と心中未遂を演じた平塚らいてうがモデルだという説がある。森鴎外はこの小説に触発されて「青年」を書いた。

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