文学は難しい?? そんなことありません!!!
美しい言葉・胸を刺す心理描写…等は心に訴え、頭というよりは、感覚で読まされるものだと私は思っています。
そこで、「文学女子のすゝめ」は、名作に紡がれた言葉や内容を紹介してゆきます。
今回も引き続き、宮沢賢治の作品を☆
読んでいると音楽が聞こえてくる♪成長の物語
おれは怒ったんじゃなかったんだ〜セロ弾きのゴーシュ〜
ゴーシュはプロの楽団でのチェロ奏者。
楽団は10日後に行われる町の演奏会に向けて練習を続けていたが、あまりにゴーシュが下手なためにいつも楽長に厳しく叱咤される。
楽長からの指摘は、「リズムが悪い」「音程が合っていない」「感情が出ない」皆の足を引っ張っていた。
そんなゴーシュが自宅で練習していたら、訪れた動物たちによって気がつき成長をし、演奏だけでなくソロアンコールも成功させるというお話。
ゴーシュは動物達によって何を得たのか?
4日間の間にゴーシュの元に訪れた4匹の動物達、個々に理由を付けてゴーシュに演奏の依頼をします。その経験からゴーシュは何を得たのでしょうか?
初日の猫は、とても生意気で、ゴーシュを激怒させました。その状態でチェロを弾いた事によって、感情のこもった音を出せるようになりました。
2日目の鳥は、音階を習うために来ました。その反復練習を行う中で、自らの音程の狂いを自覚し、基礎練習の重要さを感じます。
3日目の狸は、リズムがずれる原因(ゴーシュの楽器の特性)を教え、謙虚に受け止めます。
4日目のネズミの母子によって、自分の演奏が人知れず役立っていると教えられ、自信を持ちます。ゴーシュは小心者でしたが、この自信によって大観衆を前に怒りをぶつける度胸を獲得したようです。
楽長に指摘をされた、「リズム」「音程」「感情」の3つが改善された結果、ゴーシュの演奏は聴衆の心を動かした。ゴーシュは楽長から褒められて初めて自分の上達を知り、動物達から恩恵を受けていたことに気づいたのです。
謝罪の謎
最後にゴーシュはカッコウに謝罪をしますが、なぜ猫には謝らずカッコウだけに謝罪をしたのでしょう?
それは、「単に賢治が猫嫌いだったから」という説や、「猫を虐め過ぎると二度と帰ってこなくなる、謝罪でめでたしとならない生き物であることを賢治はよく知っていた」という説、「最後のせりふは回想であり謝罪ではなかった」という説など様々な議論があります。
参考:http://ja.wikipedia.org/wiki/セロ弾きのゴーシュ
セロってどんな楽器?
セロとは、チェロという弦楽器です。
チェロの英名は”Cello”です。
チェロはもちろん、外来語は日本に定着するまでにいろいろな名称になることがあります。
戦前はチェロよりもセロと呼ぶことが多いそうです。
参考:http://ja.wikipedia.org/wiki/チェロ
時代背景
童話なので、特に時代設定はされていませんが、19世紀末以降ではないかと考えられます。
ゴーシュが務める”活動写真館”は今でいう映画館です。
映画館で演奏?ってどういうことかというと、その時の映画はサイレント映画で音がなかったのです。
なので、盛り上げるためのBGMに生演奏が必要だったそうです。
今だと映画を見ながら生演奏って贅沢な感じがしますね。
参考:http://ja.wikipedia.org/wiki/活動写真
ちりばめられた作者の想い〜ゴーシュの由来〜
主人公のゴーシュという名前。聞き慣れない名前ではないでしょうか?
ゴーシュとはフランス語で”左”ですが、”左利き””不器用”も意味します。
なので、下手なセロ弾きという名前にぴったりな名前をつけたと言われています。
(他にフランス語の「カッコウ」、チェロの擬音という説もあり)
参考:http://ja.wikipedia.org/wiki/セロ弾きのゴーシュ
第六交響曲
読んでいると音楽が聞こえてきそうなこの作品。
でも、実際に存在しない曲や詳細が書かれていないために特定ができない曲ばかりです。
賢治が最後まで所有していたSPレコードの中にベートーヴェンの交響曲第6番「田園」があったこと等から、アニメ化の際には「田園」が用いられました。
※ちなみにこのSPはハンス・プフィッツナー指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団による録音で、現在もCDで入手可能だそうです。
参考:http://ja.wikipedia.org/wiki/セロ弾きのゴーシュ
ちょっと本は苦手という方も、アニメから見てみてみてはいかがでしょうか?
高畑勲監督のジブリ作品として出されています♪