ドラキュラZEROみてきました。
強大な力をもって、ヨーロッパ攻略を狙うオスマン帝国に立ち向かう「ドラキュラが統治する国」。
なぜ、吸血鬼「ドラキュラ」が生まれたかという話です。
思っていたドラキュラと違い、高貴なドラキュラな話。期待と違いましたが、主人公の生き様、漢っぷりが、良かったです。
ということで、今回は、この映画のモデルである「ドラキュラ」と、その背景にある「オスマン帝国」について、調べてみました。
ドラキュラZEROって?
2014/07/18 に公開 『ワイルド・スピード EURO MISSION』などのルーク・エヴァンスが主演を務め、オスマン帝国の侵略から自国を死守するため悪に変じた君主の戦いを描くアクション。ブラム・ストーカーの小説「ドラキュラ」のモデルとなった15世紀の実在の君主をモチーフに、愛ゆえに強大な悪と化す男の数奇な運命に迫る。主人公の妻を、『アンチヴァイラル』などのサラ・ガドンが好演。悲しくも美しいヒーロー伝説に圧倒される。
(C) Universal Pictures
配給:東宝東和
公式サイト:http://www.dracula-zero.jp/
作品情報:http://www.cinematoday.jp/movie/T0019338
映画を見る前に知っておくとよいポイント2つ
ポイント1:ドラキュラの語源
ドラキュラのモデルは15世紀のワラキア(現ルーマニア南部)公ヴラド3世(ヴラド・ツェペシュ、ヴラド・ドラキュラ)とされているが、設定として使われているのはドラキュラというヴラドのニックネームと、出身地が現在のルーマニアという点だけである。ストーカーは、終生アイルランドから出ることは無かったが、この地域について地図や文献でよく調査している。
出典:WIKIPEDIA
ドラクルの息子を意味する「ドラキュラ」というニックネーム。
この「ドラクル」という意味が、「悪魔」を意味し、原義として「ドラゴン」の意味ももっています。映画でも両方の意味で使われ、「ドラクルの子」=「悪魔の子」という意味として用いられます。
ポイント2:オスマン帝国とは?
イスラムの大帝国「オスマン帝国」、14世紀から20世紀初頭までつづきました。崩壊は、第一次世界大戦に敗北し大半の領土を失い、ついに解体されました。
キーワード1 領土
出典:WIKIPEDIA
キーワード2 メフメト2世
メフメト2世(トルコ語: II. Mehmet、1432年3月30日 – 1481年5月3日)は、オスマン帝国の第7代スルタン(皇帝、在位: 1444年 – 1446年、1451年2月18日 – 1481年5月3日)。コンスタンティノープル(イスタンブル)を攻略してビザンツ帝国(東ローマ帝国)を滅ぼし、オスマン帝国の版図を大幅に広げる。30年以上に渡る征服事業から、「征服者(ファーティフ Fatih)」と呼ばれた。
出典:WIKIPEDIA
このメフメト2世は、アレクサンドロス大王と比較されるほどの領土拡大・征服を成し遂げ、オスマン朝をオスマン帝国と名を呼ばれるに相応しい国を築いた君主です。
この「オスマン」の征服活動・勢力拡大は、ヨーロッパ諸国からは、メフメト2世は「破壊者」「キリスト教最大の敵」「血にまみれた君主」と恐れられたそうです。
ヨーロッパ諸国にとって、東から攻めてくる帝国の存在は、相当な脅威だったということが表されていますね。